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『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』(ナイアガラトライアングル ヴォリュームツー)は、1982年3月21日に発売されたナイアガラ・トライアングル(大滝詠一、佐野元春、杉真理)通算2作目のスタジオ・アルバム。 == 解説 == 山下達郎、伊藤銀次との前作『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』〔大滝詠一、山下達郎、伊藤銀次『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』 1976年3月25日発売 NIAGARA ⁄ COLUMBIA LP:LQ-7001〕以来6年ぶりのトライアングル企画第2弾〔1996年再発盤『GO! GO! NIAGARA』(1996年3月21日発売 NIAGARA ⁄ Sony Music Records CD:SRCL-3500)の解説によれば大滝はこれより前、ザ・キングトーンズ、シンガーズ・スリー、そして大滝の一人多重コーラス“Jack Tones”でコーラスをメインとした『トライアングル2』を企画していたという。また、テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」放送再開時にシングル「うれしい予感/針切じいさんのロケン・ロール」(1995年2月22日発売 Oo Records SCD:OODO-5001)を手がけ、渡辺満里奈と植木等の参加によって『ナイアガラ・トライアングル Vol.3』が実現しているような気がしてならないと、プロモーション盤(1995年2月 Oo Records CD:OoDo-93001)の解説“ナイアガラ宣言”で書いている。〕。今回参加となった佐野元春、杉真理はともに1980年にソロ・デビューした“新人”だったが、佐野は佐藤奈々子の共作者として3枚のアルバムで楽曲制作に参加〔佐藤奈々子『Funny Walkin'』 1977年6月25日発売 BLOW UP ⁄ COLUMBIA LP:LX-7016-A〕〔佐藤奈々子『Sweet Swingin'』 1977年12月25日発売 BLOW UP ⁄ COLUMBIA LP:LX-7033-A〕〔佐藤奈々子『Pillow Talk』 1978年10月25日発売 BLOW UP ⁄ COLUMBIA LP:LX-7045-A〕。杉は自身が率いるバンド“マリ & レッド・ストライプス”で2枚のアルバムを発表〔MARI & RED STRIPES『MARI & RED STRIPES』 1977年3月25日発売 Victor LP:SF-10070〕〔MARI & RED STRIPES『SWINGY』 1978年2月25日発売 Victor LP:SJX-20051〕。両者とも1970年代後半には既に音楽業界に足を踏み入れていた。二人はアマチュア時代に参加したコンテストで言葉を交わしたことがあり、そのとき佐野が自身のバンド“バックレイン元春セクション”で出場したときの曲目が本作収録の「Bye Bye C-Boy」だった。当時、バンド“ピープル”で出場していた杉はこの曲に深い感銘を受けたという。 そんな二人に声をかけたのが当時、アルバム『A LONG VACATION』〔大滝詠一『A LONG VACATION』 1981年3月21日発売 NIAGARA ⁄ CBS/SONY LP:27AH-1234, CT:27KH-959〕がヒット中だった大滝詠一。1981年7月21日から24日まで、新宿のルイードで行われた新人アーティスト4人によるショーケース・ライヴ『JAPACON』でのことだった。杉によれば「『ジャパコン・ウィーク』は、最初の日に佐野くんがやって、次が濱田金吾くん、その次が網倉一也くん、最後の日が僕でした。その日はジャパコンの3人以外にも、竹内まりやや須藤薫、それから大滝詠一さんが来てくれたんです。で、僕が大滝さんをステージに呼んだら、大滝さんがお客さんに向かって話しはじめた。“昔、『ナイアガラ・トライアングル』というのがあったけど、知ってるかい?”、“知ってるー!”、“あのアルバムには『Vol.1』と打ってあったんだけど、知ってるかい?”、“知ってるー!”、“だから『Vol.2』を作ろうと思っている。ひとりは杉くんで行こうと思ってるんだけど、どうだい?”。そのとき僕は驚きと“当然だ”という自負が混ざったような気持ちだったけど、即座に“やります”って答えた。“もうひとりも、ちょうどここに来ている。佐野くん、どうだい?”、“やります”。その場で決まったんだけど、そのとき、スタッフは全然知らなかったんですよ。たぶん、スタッフ・サイドから入っていったら、トライアングルは出来なかったんじゃないかな。それから、大滝さんは、佐野くんとのバランスを考えて、三枚目を捜してたんだと思います」という。後に杉は「トライアングルの発表があった日、ある知人の家に大滝さんと一緒に行ってね、大滝さんが“やはり楽しい音楽をやるために、そういうイヤな力はどんどん排除していこうよ”って言ってたのがすごく良くて。理屈っぽい言葉じゃなくて“楽しい音楽”って言ったところが大滝さんの好きなところですね」「だから何か、この人に声をかけてもらって良かったなぁ、と思ったんですよ」と振り返っている。佐野も「大滝さんは知識をたくさん持っているけれども、知識だけじゃなくて知恵のある人だと思う。僕の上の世代の人たちはあまり僕らに伝えてくれなかったけれど、大滝さんは僕にいろんなことを伝えてくれて、僕はその中から必要なものだけを貰いました。世代間の繋がりを強く感じさせてくれた人です。そして、ナイアガラというメディアを借りて作品を発表できたのは、すごくラッキーでした。感謝しています」と答えている。 こうして結成されたナイアガラ・トライアングルはシングル「A面で恋をして」〔「A面で恋をして ⁄ さらばシベリア鉄道」 1981年10月21日発売 NIAGARA ⁄ CBS/SONY EP:07SH-1077〕をリリース。ナイアガラ・レーベルとしては過去にないヒットとなり、同年12月3日渋谷公会堂で行われた、会場内にFM電波を飛ばして、観客はヘッドフォンで音を聴くという実験的コンサート『ヘッドフォン・コンサート』には佐野と杉がゲスト出演し、3人ではじめて「A面で恋をして」がライヴで披露された。また、佐野がソロで「SOMEDAY」を歌った際には、『トライアングル1』〔のメンバーで、当時佐野のバンドでギターを担当していた伊藤がステージに登場し、大きな拍手を送られる場面もあった〔。 シングルの好結果を受け、ナイアガラ・トライアングルはアルバム制作へと繋がったが、大滝によれば「まあ、シングルだけで終わる構想もないわけじゃなかったんだけど。松田聖子の<風立ちぬ>〔「風立ちぬ」 1981年10月7日発売 CBS/SONY EP:07SH-1067〕が10月7日に出て、<A面で恋をして>が10月21日に出て。うまくいったから『トライアングル』はアルバムにするしかないだろう、と。で、二人からデモ・テープが来た。佐野くんは<Bye Bye C-Boy>と、僕がリクエストした<彼女はデリケート>。杉くんはまず<Nobody>。それで<ガールフレンド>。で、レコーディングが始まって、<Nobody>が上がってくる。佐野くんと杉くん二人で歌ってる。バッチリなわけだよ。<ガールフレンド>もいい。やったなって思いで」とし、3人の共通項であるリヴァプール・サウンドを基本テーマに、それぞれが持つ独自のセンスを発揮した楽曲で構成されたアルバムに仕上がり、オリコン最高2位を記録し、50万枚近いセールスを上げた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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